誰だって
自由 になりたいですよね。
自由 に憧れますよね。
私もずっとずっと誰からも何も言われず自由になりたいと思っていました。
小さい頃から父親が怖くて、
家の中ではどうにか父親と顔をあわせないように避けていて
外から父親が帰ってくる物音がしようものならとっさに部屋に隠れていました。
母親も朝から晩まで休みなく働き日々せわしなくしている姿に
子どもながらに自分だけがゆっくりしていてはいけないと、
落ち着いている感じではなかったです。
父親(婿養子)と祖母(母方)との大喧嘩が頻繁にありました。
父親が朝の仕事から帰ってきて食事をしようとする際に、
祖母が別の部屋でほうきで掃除をしだすのが
父親はとても嫌がりいつもそこから大けんかに発展するのです。
祖母は当時70歳くらいでその頃にはもう既に外で仕事をしていなかった為
私の父がいる際には自分は家の仕事をしているというところを
みせたかったのだと思います。
祖母の気持ちもわかります。
父親は外で力仕事をしているので、食事の時くらいは
静かにご飯を食べたいという思いがあります。
父親の気持ちも分かります。
ですが、頻繁に祖母が私の父親が食事をしている時に
ほうきで掃除をする姿を目にするので
「何で同じことを何度も言わないと分からないんだーーーーー!!!」と
ほんの小さなことから父親が怒鳴りだし
それに対抗し祖母もものすごく気が強い為
父親の生い立ちを馬鹿にするようなことが飛び交ったり、
出ていけーーーー!!となったり
もう、小学生の頃からそれがほんっとに嫌で
私はそれをふすまに隠れずっと聞いていて、何もできずに泣いていました。
何でいつも同じことで喧嘩するんだろう…。
あまりにいたたまれない時は二人に見つからないようにこっそり家を出て
道路を挟んだ向かいにある牛舎で働いてる母に助けを求め
仲裁に入ってもらって助けを求めていました。
祖母、母は私にとってかけがえのない存在でしたが
当時は父親のことは受け入れられず
家にいるのが苦痛で何かずっと縛られている感がありました。
それが大学合格がきっかけで
家を出ることが決まったのです。
一人暮らしができることになったのです。
もうすぐ一人暮らしで東京に行くというある日
私は母親と車で買い物に行きました。
買い物の帰り道、車中ではハナミズキが流れていました。
「シクシクッ」
え?!
何の音?何の泣き声?
その時、さっと横に目を向けると
どんな辛いことがあっても泣かない母が、泣いた姿を見たことがない母が
泣いているではないですか…
「Rinaがいなくなっしゃう……。」
衝撃でした。
ただ一人暮らしで東京にいくだけじゃん!と思っていた私
母親にとってはそうではなかったようです。
ずっと仕事ばっかりで私に対してそれほど興味がないと思っていたので
その姿には驚きました。
なんだかんだ父親も片道3時間半ほどかけて
自分のトラックで一人暮らしで必要な家具などを新しく住むアパートに運んでくれました。
そして大学での一人暮らし
親からの目がなくなり自由になったと同時に少しはめを外しました。
大学に行き派手な友達と行動するようになったのです。
それと同時に部活で空いた気持ちの穴を埋めようと
大学のバレーボール部を体験入部しました。
そこは部員が顧問を兼務しており、既に仲間の関係が出来上がっていて
高校の時のような空気ではない…私は馴染めないと察したのです。
その後バレーボールサークルに入部し、
皆で時間を気にせずワイワイ遊んでいました。
サークルは真剣にというよりも楽しんでバレーボールをやる感じです。
勉強しに来たはずの大学も遊びが中心になってしまったのです。
始めの数カ月はやっぱり楽しかったです。
それもだんだんつまらなくなってきたんです。
それに何か、少しずつ疲れてきました…。
なんでなんだろう…。
自由なんだし、誰からも何も言われるわけでもないし、
時間を気にせず遊んでいられるのに…楽しくないのはなんで…
私はもともとそこまで明るい人間ではありません。
大人数が嫌いで初対面ではなかなか打ち解けられず口数が少ないんです。
そして気づいたことは
自分は皆でワイワイする楽しさを求めていないんだ。
周りの環境に流されて、皆が楽しそうなことを一緒になってやっていたんだなと思いました。
ぽっかり空いたしまった気持ちの穴を埋めようという焦りから、
高校の部活動のような打ち込めるものはないかとバレーボール部、
サークルに入ってみましたが、
高校の時もそうでしたが
集団で行動すると
誰かに合わせておもしろいことを言わないといけない。
気にかけることが多く、嫌われてしまったらと言葉が出てこなくなってしまう。
集団で話していて、自分だけ目を合わせてもらえないと余計なことに消耗する。
何で自分はこんなにおもしろくない人間なんだろう…。
何で皆と同じように輪の中に入れないんだろう…。
大学では女の子が何人も一緒に机を囲み会話をしながらお昼を食べている。
誰かと一緒にいつも講義を受講している。
そんなに毎日話をすることがあるのかな…同じようにできない自分はダメなのかな、どこかおかしいのかと悶々としていました。
大学の始めに友達になった子たちと合わせるのが辛くなり、
相手も自分と合わないことを感じ自然と離れていったのもあり
一人で行動することが多くなっていったのです。
大学の授業がない日は部屋に閉じこもっていました。
布団から出ず誰とも会わない日が何日間も続くことがありました。
何日間もそういうことをしていると
人との繋がりもなく社会からも疎外されているようで
不安で仕方なくなるんですよね。
人が嫌で閉じこもり何もやる気がおきず何もやらないでいて
親にお金を出してもらっておきながら、大学に来てこんなことをしていて
良いのだろうか…。
でも何もやる気が起きないし…。
落ちるところまで落ちました。
…ふと
やる気がなくて、何もやらないでいると
あまりにボーっとして何も変わらない毎日につまらなくなってくる
本当に何もやることがないボーっとする時間が続くと
ありがたいことだったんだなとヒシヒシと感じてきたんです。
そこで吹っ切れたと思います。自分は自分でいいやと
一人でお昼を食べ、講義を聞く。
小学校、中学校、高校となると
クラスに友達がいないことがとてつもなく辛く感じるのです。
浮いた存在になり一人でいることは苦痛以外の何物でもありません。
大学では講義のたびに教室が異なり、決まったクラスに限定されるわけでもないです。
人数が多すぎてさまざまな人がいることでかえって一人でいることで浮くことはないのです。
高校までは集団で行動できないとダメな人間なんだ。
友達を作れないことは性格が暗い自分がダメなんだ。
何人も友達がいないのはダメな人間だからだ。
とずっと思っていました。
学生時代はその自分が存在する場所、
自分がいるクラスが自分の生きる場所だと思っていたので
無理に明るい人間になって馴染まないと必死でした。
大学ではそんなことしなくて良いんだって気づけたんです。
そして、誰からも何も言われない自由な環境にいることは
ある一定のときからつまらなくなってしまうということも知りました。
自分を振り返る時間がないほど忙しすぎるのも苦しいことですが、
何もやりたいことがなくやることがなく時間を持て余し自由すぎるのもつまらないのです。