私…その周り流された一人です。
まずですね、
それよりも前に大学選び自体が全く分かっていなかったです。
田舎で生まれて田舎の学校で育って、中学受験をする子も全くいなかったですし、大学も地元では行く人も少なく、いければ良いという感じで大学の情報はないに等しかったです。
両親も自営業しか経験したことがなく大学は行きなさいというけれど〇〇大学と大学がついていれば凄いところなんだなというような感じで、どこの大学が良い大学かなんてさっぱりの状況でした。
それに比べ高校選びは地元の近くにいくつもあり偏差値がいくつでどこが良いという情報は入ってきますし、自分でもなんとなくどこの高校が良いのかというのは分かっていました。
親と買い物に行った際30分程車を走らせれば近くにある高校の近くには制服で歩いている生徒を見かけることも多くあります。
この高校はこういう感じなんだなと自分でも想像がつきこの制服が着たいなとか、こういうふうになりたいなという思いを抱きやすかったと思います。
そういったこともあり行きたいなと明確な高校は結構早い段階で決まっていました。
高校受験に向けては、中学1年の時から塾と部活の両方をなんとかこなし頑張っていました。
本当に目指していた高校より1つレベルは下げたのですがなんとか進学校には受かり通えることになりました。
しかし、そこで私の勉強への熱意はなくなってしまったのです。
きっと〇〇高校に受かる!ということが目標になってその先を見据えていなかったいたのだと思います。
高校生活は生徒皆ゆったりしていて落ち着いていてとても過ごしやすかったです。
それでも…本当に平和で平凡だったのです。
高校では勉強への熱意はなくなったので好きな部活ばかり必死になって、勉強はたいしてやった記憶がありません。
特に数学は最後の方は全く分かっていなかったです。
成績もそこまで悪くても誰からも何も言われるわけでもないので気にしていなかったです。
いざ3年で部活が終わって残ったものはというと…
精神力(苦笑)忍耐力(苦笑)
…なんて目に見えない受験には到底関係のないものでした。
部活にずっと打ち込んで努力して、その運動能力に才能や飛び出たものがあればその道も開けると思うのですが、
自分自身が好きなだけで並外れた運動能力もない人間が部活ばかりに時間を費やし、いざ進路を決めなければとなった時に重要になってくるのはやはり学力なのだなと実感しました。
もちろん私には部活がなければ今の自分はないですし、部活が必要なものにはかわりありません。
しかし同時に勉強は怠らずすべきことだったと痛感しているのです。
毎日朝練、授業後、土日の練習・試合となると体も疲れ家では体を休めるだけになってしまうと思います。
私は日々の授業も聞いているかどうかも分からない感じでボーっとしていました。
授業くらいはもっと真剣に聞いていれば少しは違ったのかなと思うのです。
高校では親に塾への送り迎えはお願いするのは申し訳なく、費用をかけるもの嫌だなとの思いで塾には通わずでした。
そもそも部活と塾は掛け持ちするのは難しかったと思います。
部活が3年で終わりその後にあまりにも危機感を感じたので地元の個別塾へ通いましたが、全く合わずすぐ辞めてしましました。
その後は自力で勉強というほど力が入らず、机に向かえば違うことをしだしたり、眠くなったりと中学受験のような努力はしていなかったです。
そこまでどうしてもやりたい、なりたいことが定まっていなかったのです。
この先どうしよう…
私のやりたいことって何なんだろう…
このまま働く道は考えていなかったので
大学行ってどうしよう…
私には部活、バレーボールしかない。
部活で出会った顧問の先生によって私はかわれた。
教師になって部活でバレーボールをやりたい。
そこで何か伝えられるものがあるのでは、
との思いで教職を取得できる大学に行くことに決めました。
そこまでは良かったのです。
その先です。
教職を取得できる大学にいけば全ての教科を取得できると私思ってました💦
この考え…とんでもない間違いでした。
入ってすぐに教職を取得するのにどの授業を専攻しなければならないのかを
選択する時、初めて
この大学では国語・英語・地歴公民しか教職は取得できないことを知ったのです。
えっ
わたしが苦手にしてる教科しかないじゃん…
どうしよ…
ここまで来て一人暮らしするのに親にトラックで荷物運んでもらって、大学の入学金まで払ってもらって
ここで後戻りなんてしようものなら…
とにかくここまできてしまったからにはこの中から選ぶしかない
この教科の中でしいて興味のもてるものは ❝英語❞
もうそれしかなかったです。
英語といえば思い出すのはあの学校英語
日本語のような英語なのか分からないような
全くしゃべれるようにならない英語の授業です。
今では留学をしている方がたくさんいる中、留学もしたこともなくしゃべれるわけでもないわたしのような人間が英語を教える立場になんてできるわけがないと思ってました。
それでも選択枠がなく選ぶしかなかったのです。
教育実習にいくには3年で英検2級を取得しなければ単位をもらえない授業があり、私はそれを落としました。
その時点で大学4年で教育実習にはいけません。
教職を取得するためにこれまでやってきたのに…かなり落ち込みました。
大学4年で再度英検2級を受けなんとか合格することができ、その授業も単位を取得することができました。
ですが、教育実習は翌年しかいけません。
大学自体は4年で卒業しましたが、科目履修生として教育実習等を行くため教職を取得するために大学に残ることにしました。
大学4年からは授業も少なくなり、一人暮らしでいる必要もなくなり実家に戻りました。
もともと一人暮らしは親と3年間と約束をしており、4年目は実家から通うことになり片道3時間程かけて通っていました。
そこで目の当たりにしたのは教師という現実…。
部活の朝練がある為7時前には学校に行き、8時過ぎからは授業が始まります。
授業がひと段落しお昼を食べている間にも職員室では先生は生徒の対応をしています。
また15時過ぎまで授業を終えると今度は親御さんへ電話をしたりと生活指導の対応です。
そして16時から18時まで部活の指導、終わってからは明日の授業の準備です。
家に帰ってもまだ教育実習生で何も分からないことから翌日の準備が終わりません。
生徒の前に立つ以上中途半端なことはできません…それでも夜中までやっても整わない状態で翌日を迎えることになります。
また朝7時前には学校への繰り返しです。
英語の教職をとるために授業の単位は取れたとしても英語がペラペラしゃべれるわけでもなく、それどころか発音すらままならない状況で自信なんてものはあるわけもなく、子どもたちにこんな人間が教えられるのか…と自問自答しながら実習期間を過ごしていました。
部活の顧問をやらなければ教師になる意味がないと思っていました。
ということは朝の7時前から21時まで学校で過ごすことになり、土日も部活の指導です。
中学生時代というのは自分自身もそうでしたが、とても不安定な時期で中途半端な覚悟では子供たちに必ず見透かされてしまいます。
プライベートで結婚もしない子供も作らないという覚悟が自分には出来るのかと私は自分に問いかけました。
それは出来ない…。
その答えで私は教職の道へ進むのを諦めました。
教育実習はなんとか無事終えることができ、教職も取得することができました。
当初の大学で教職を取得するという目的は達成することはできましたが、その5年かけて取得した教職の資格は使うことはありませんでした。
大学へ入学した当時、いとこのおじさんに私の両親はこう言われていました。
「その大学…行っても行かなくても一緒のようなものじゃんっ!」と
親にとても悔しい思いをさせてしまったと思います。
後々考えると一人暮らしをさせてもらって、大学の入学金・授業料含め1000万ではきかない費用を親が出してくれたにも関わらず
あまりにも費用対効果が低い結果となってしまったことは否めません。
大学へ入学した当時は開放感で羽目を外し、周りも皆遊んでいてその環境に流され大学へは何しに来たのか、遊びに来たのかというようなひどい状況でした。
1年程するとその状況に焦りを感じ思いとどまりましたが、そもそも選んだ場所に自分が取得したい教科がなかったことでモチベーションが低い状態だったのには変わりなかったです。
親元を離れ今まで経験することが出来なかったことを大学生活で経験できたことはかけがえのない私の財産です。
しかしそれだけで良かったのか…今でもその親への申し訳なさは残っています。
これから大学を選択する方には私のような想いをしてほしくはありません。
この一つの私の経験から何か感じ取ってもらえたら良いなと思います。