自分が大嫌い
無条件に自信のある人ってなんでなんだろうって感じていました。
きっと両親から愛情をたくさんもらった人なんだろうなとも思いますし
生まれながらにしての性格というのも関係しているのかと思います。
私は小さい頃からずっと父親から嫌われていると思っていました。
母親は仕事で忙しいので子供たちより仕事の方が大切なんだなと感じていたので
自分に自信を持つということが出来なかったです。
自分の性格も容姿も嫌いでした。
集団に馴染めていない自分
小さい頃から人見知りで初対面では無口になってしまう自分
緊張するとかえって言葉が出てこなくなり
こういうことを言ったらこの子はどう思うだろう
この子に嫌われたらどうしようと
集団になると話すときに私だけに目を合わせてくれないと
あっ…やっぱり、あたし嫌われているんだ…
これ以上近づくのやめようっと
相手の反応ばかり伺って余計言葉にならなくなってしまうのです。
そうなるともう…私と一緒にいても面白くないですよね。
自分ってなんでこんなに面白いこと言えない人間なんだろう
何でこんな真面目なことしか言えない人間なんだろうと
自分を否定していました。
集団では全く言葉が出てこなくなるのですが
1対1対だとそれほど緊張せず話せる感じはありました。
クラスの人気者グループがうらやましい
クラスって必ず人気者のグループってありますよね。
私はそういう部類には入れない人間だったので
そういう子たちがうらやましくて
そういう子たちに話しかけられると嬉しかったりしていたなと
思い出すのですが
それでもそういうグループって不思議です。
仲良くて一緒にいると思いきや
その仲良しのグループの中でも仲間外れになったり
目を付けられる子がいたりして悲しい思いをしている子がいるんです。
グループに属さないと生活できないこの狭い空間に
ものすごい息苦しさを感じていました。
こういう風に考える自分ってちょっとおかしい人間なのかも
社会不適合者かもって自分では薄々感じていました。
ある日人気者の子たちと一緒のグループになり野外で授業をしている際
その子たちははしゃいでいてノートを取らなかった時
同じグループだった私に
「ノート見せて?!」とお願いされたので
私は「いいよ!」と貸してあげました。
「やっぱり〇〇ちゃんはほんといい人だよね!」と言ってくれたので
その時は私は役に立てたのだと内心喜んでいました。
いい人って、どうでもいい人なのかも…
大学の時には仲良しな4人でカラオケ行こう!と集まった時には
すぐに一人が「用事があるから帰るわ!」っと途中で帰ってしまったことがありました。
え?なんで?!と正直思いましたが
それでも引き止めて面倒くさいヤツっと思われたくなかったですし
用事ができたんじゃしょうがないなって
何も言わずにその場を過ごしたんです。
その後で帰った子が友達に
何も言わないって、お前の気持ちが分からないって言ったようなんです。
それからその子は離れていってしまったのですが、
当たり障りなく言葉を発し、嫌われないように接する
それってだれからも好きにも嫌いにもなってもらえない
どうでもいい人じゃんって感じたんです。
いい人を辞めてみた結果
嫌われてもいい覚悟で部活の顧問に突っかかっていった時
自分の想いをぶちまけた時
そこで見放されると思っていたのに
むしろ逆に認めてもらえたことを思い出しました。
自分の殻に閉じこもって当たり障りなく接っしている自分だからこそ
誰にも受け止めてもらえなかったのかもしれないと気づきました。
無理して好かれる必要はない
そうすることで返って好きにも嫌いにもなってもらえないと
分かりました。
会社でもお局様にあたる上司の方から嫌われていると思い込んでいた私は
その上司の態度や言葉にビクビクして目の前で泣いてしまったり
隠れて泣きていたりと怯えるようにしていた姿が
また相手をイライラさせてしまったのだと感じます。
上司の私への納得いかない態度に今までのため込んでいたものが爆発し
挑発的な態度を上司へとってしまった私は
もう辞めさせられてもいいやという覚悟でいました。
でもここでも逆に個別に呼び出しを受け話を聞いてくれたという
状況になったのです。
父親にもそうです。
私は勝手に父親から嫌われていると思い込んでいました。
その為父親と話すこともせずあからさまに私は父親からさけていました。
今では自分が親になり、父親・母親の気持ちが理解でき
自分自身のしてきた行動・態度、親からされた行動・態度を
受け入れることができました。
人気者な人や誰にでも好かれる人をうらやましいなという
気持ちははもちろんあります。
それでも私はどうあがいてもそういう人間にはなれないのです。
私は頭は固く理解するのに頭でしっかり整理した上で話したいので
瞬時に言葉が出てこない時が多いです。
人を和ませて笑わせるような面白いことは言えません。
集団でいると自分自身が消耗しものすごく疲れてしまいます。
ワイワイ皆で集まって遊ぶことが好きではないのです。
こういう自分っておかしいのかなってずっと思っていました。
入社当時会社の皆にご飯を誘われた時、休憩室で皆でワイワイ食べることに
すごく苦しさ感じている自分がいました。
私は仕事の要領が悪く、休憩時間以外はずっと気を張り詰めているせいで
休憩時間だけは唯一気持ちを休ませたいという想いがありました。
一人ひとり皆のことは好きなのに、休憩時間に集団で話をすることで
エネルギーが使われ、午後の仕事への意欲、集中力が持たなくなってしまう
そんなような感じになるのです。
会社は学校とは違い友達を作る場所ではなく働く場所です。
仕事への意欲と仲間と仲良しするかは別ものです。
仕事である以上、仕事で良いパフォーマンスがだせるかが重要になる為
それには私は周りの目を気にせず、お昼は一人で食べることを選択し
午後からの仕事への集中力を温存したかったのです。
自分をつくろって皆と仲良くすることもできましたが
私はあえて良い人でいるのをやめました。
中にはこういう態度がちょっと冷たい人、協調性ないヤツと
感じている人もいたと思います。
でもそれで良かったです。
周りでは仕事でも仲良くなりすぎてしまったからこそ
人間関係に悩み辞めてしまったという方たちを多く見ていたからです。
世間には外向型人間・内向型人間が存在する
私は社会で生きていくには、
明るく社交的な人間が求められていると
ずっと思っていました。
内向型人間だから劣っているのは間違い
大人になってから世間には外向型人間・内向型人間が存在する
ということを私は知りました。
これまでずっと世間では
元気で積極的、活発で雄弁、社交的な性格の人間が勝っていて
内気で消極的、控え目でおとなしい、
あまり人と関わることが苦手な人間である
自分はダメな人間だと思って生きてきました。
もちろん世間一般的には社交性や積極性が求められ、
生きやすいのは外向的であり
社会の風潮は外向的な人が優遇されるのは間違いない事実だと思います。
これは両方が同じように存在して良いという
ことなのではないかと感じたのです。
最近ではYouTubeであったりスマホから検索すれば
たくさんの情報を取り入れることができます。
私も悩むと何かしらスマホで調べているのですが、
そこで面白いことを感じたのです。
自分が信じることが正しい
人それぞれ答えが違う
人それぞれ信じていることが違う
だとするならば、
自分がそうだと信じていれば
それが正しいのではないかという結論に至りました。
私は消極的で控え目で愛嬌がない自分が嫌いだったのでそれを悪いと紐づけていました。
でも積極的と見えるのは消極的な人がいるからこそ
良くしゃべると感じるのは静かで無口な人がいるからこそ
お互いが存在するからこそ認識することができるのであって
どちらが欠けてもいけない存在なのです。
どちらも肯定されるべき存在なのです。
自分が信じるもの、自分が信じていることが正しいのであって
責任をもってそれを自分で選び取っていくことが大切なのではないかと感じます。
もしかすると自分の正しいと思っていることは
相手にとっては間違いの可能性もあります。
でもその答えは相手に強要するものではなく
自分の中で持っているものであり
どちらも否定する必要はなく
どちらも肯定されるべきものだと思うのです。
自分だけは自分を肯定してあげてほしいのです。
主人とケンカをしたりすると子供にあたってしまったり
自分が不安定であると周りにも良くない影響を与えてしまったり
私は自分を受け入れらないことで
悪い影響を家族へ与えてしまうことも今でもあります。
それでも自分を受けれていくことで
自分だけではなく、自分の周りの人間も
以前より確実に良い方向、良い環境へ
向かっていくことが出来ていると感じるのです。
まずは何よりも自分のことを
どんなことがってもそれがダメだと決めつけず
受け入れてあげていってほしいと感じます。