大人はそばにいる子供の声に少しでいいから耳を傾けて…

私の生き方

皆さん

小さい頃、身近な大人の言葉で悲しい思いをしことはありますか。

小さい頃にどういう大人に出会えたかによって、
将来に希望をもったり
逆に未来に絶望したり

 

世界は広いのに自分の周りの小さな世界で出会った人によって
変わってしまうなんて…、

 

小さい頃って身近な大人によってものすごく影響を受けると思います。

私も一人の大人の一言によって、心を閉ざしました。

真面目に小学校に通い勉強も運動も自分なりに頑張っていた
小学校4年生の終わりです。

担任の先生よりクラスから別の教室へ呼び出されました。
そこにいたのは自分の担任の先生と隣のクラスの担任の先生大人二人でした。

近くに住む隣のクラスの子が私にいじめられていると
その子のご両親が学校に来たとのことです。

私の担任から出た言葉が…

「お前はそういうやつだったのか…」
「信用していたのに…」

と…まず先に言われた言葉がこれでした。
私は二人の大人に責められました。

私はあまりの衝撃で何も言葉にできず、ただ泣くだけしかできませんでした。
一方的に悪者にされてしまい、大人二人からの責められる眼差しに小学4年の私には
ただただ悲しみとショックで泣くしか出来なかったのです。

私ではそんなことを自分はしてしまったのかと、自分自身を疑いました。
何度も自分の行動を頭の中で振り返ります。
自分のどういう行動が相手にそういう思いを与えてしまったのか…
どういう言葉をかけてしまったのか…

思い当たることがないか頭の中で何度も何度も思い返します。
原因が何か分からないまま、ただただその先生の言葉に自分という人間ははそういうやつなのかと自分自身を嫌になりました。
自分でもわけがわからないまま一言もいえず
皆がいるクラスの教室に戻り、皆がワイワイはしゃいでいる中
私は一人、自分の机に顔を伏せ泣いていたのです…。

今となれば自分がやっていないことはやっていないと自分の言葉で言えますが、
当時はまだ子供、あまりの衝撃で頭が真っ白
大人に反論したところで私の意見を聞いてくれるわけもなく
一言も発することが出来ずに時間だけが過ぎていきました。

何度もこれまでの自分の行動を振り返りました。
本当に私はそういうことをしてしまったのか…、
しかし何気なくしてしまったことで相手を傷つけてしまっていることもある…
この出来事で私は人に対して心を閉ざしていったのです。

自分の親も相手のご両親を知っている為心配をかけてはいけないと
誰にも相談できず心の中にしまいました。
その後の小学校生活は嫌で仕方なく記憶にはありません。

高校もその子と一緒であった為ずっと自分の中にひっかかっていた当時のことをしっかり謝りました。
その返答は

「あれ…嘘だったんだ。」
「学校行くのが嫌で朝起きるの辛くて親にそういうこと言ったんだ。」
「ごめんね。」

えっ…

 

そう…   だったんだ。

 

それでも相手にしっかり謝れたことに自分自身安心したのと
自分はそういうことはしていなかったのだという心の中に気にかかっていたことがとれたような感じでした。
そして、同時に大人に対する不信感はずっと残っていったのです。

その出来事から、
どういうことであってもまずは
相手をせめずに相手の言葉・想いを聞くこと

誰かがこうだと言ってきても他の誰かを頭ごなしに否定するのではなく
双方の話をまずは聞くことを大切にしていきたいと思いました
双方の話を冷静に聞いてからでも判断するには遅くはないと思うのです。

たとえ私が相手に嫌な思いを与えてしまっていたとするならば
私の想いを聞いてくれて受け止めてくれた場合には
きっと自分のしてしまった間違った行動をも受け入れ素直に改めることができたと思います。

始めからあいつが悪いと自分自身を全否定されてしまう程悲しいことはないです。

自分が大人になったら
身近に触れる子供たち一人一人のそれぞれの思いを聞くことができる大人になれたらと感じます。

私は小学校時代に関わる大人は先生が大半で先生=大人と結びつけていました。
大人って…そうなんだと冷めた人間になっていたと思います。
小学校時代は仲良しな友達がいないと輪に入れなかったり、孤立して本当にとても生きづらい世界です。
その時は自分が生きる場所はそこにしかないと感じていたので周りの皆から責められているようでとても辛かったです。

 

学生時代は狭い世界に生きています。

小さい頃は同じ学区というだけで行かなければならない場所は決まっています。
ただ近くに住んでいるだけの集まりですが、そこに馴染めなければ自分の居場所はありません。
ですが、高校・大学・社会人と時を経ることによって自分で居場所をいくらでも自由に選ぶことができます。

大学、社会人と時を経ることによって、そういった縛りはなくなり居場所を自由に自分で選ぶことが出来る今を日々過ごしていると、昔の自分にこう言ってあげたい。

その場所に馴染めなくて居場所がないと泣いていても
『その世界が全てじゃない!
自分を偽らなくても生きていける場所は必ずある。その時は必ず来る。』と

 

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