プロフィール

Rinaなりの生い立ち
小学校時代

小さい頃から運動が大好きで運動に関しては大の負けず嫌いです。
小学校では陸上・駅伝・ミニバスに打ち込んでいました。

私の家庭は父親が建築の仕事、母親は祖父の家業を継ぎ酪農をしています。
生き物を飼っているので毎日休みなしの母親の背中を見て大変な仕事だな…1日ずっと一緒にいられることはなくいつも寂しいなと心のどこかで感じていました。少しでも一緒にいたい気持ちで、牛舎の手伝いをしていたので、友達と遊ぶことも少なかったです。

小さい頃から父親の口調が強く怒鳴っている姿ばかり見てきたので、物心ついた頃には父親が怖くて避けていました。
自分から父親に話しかけることが出来ず顔を合わせるときは夕食の時だけで、下を向いて早く食べ終わらせていたので、今でも食事を食べ終わらせるのは早いのです。
しっかり噛まないとダメですね…💦

今はいない祖父と健在の92歳の祖母といる時間が安心できる時間でした。
小学校時代は家庭でも小学校生活でも周りの目をとても気にして、ビクビクしている自分の気持ちが言えないとても物静かな性格でした。

中学校時代

中学では地元の公立中学に通い、女子特有のグループに悩みました。
クラスの女子3人と仲良くなり、いつも2人グループと1人に分かれてしまうことで、やきもちやいざこざで揉めていました。
他のクラスでも仲良しグループの中ですら、仲間外れになる子もいてグループや輪にな入らなければならない環境がものすごく辛かったです。
クラスに落ち着く居場所はなく、主に私は部活が居場所でした。
部活はバレーボール部で顧問は学校一に怖い先生でした。
毎日必死にボールを追いかけていました。
そこで出会った顧問の先生のおかで今の自分があります。

高校時代

私の住んでいる場所はあたり一面田んぼばかりで買い出しにいくには車で15分程かかります。
公共交通機関は電車が通っておらずバスも本数が少ない為、高校へは自転車で片道12キロの道を1時間ほどかけて通っていました。
2学年からは原付バイクで通うことができたのです。
親は仕事で大変な為台風の日でも雨の日でも自力で通っていました。

真っ暗な部活の帰り道、ずーっとまっすぐな田んぼ道を走っていると急に道がなくなり、ぐちゃぐちゃな田んぼの中へ原付バイクごと空中ジャーンプそのままズボッ💦
氷が張った道路を曲がる際には思いっきりブレーキ、タイヤがツルッと原付が横転し痛い思いもしました。

高校は中学校とは違い皆落ち着いた子ばかりで平和でした。
高校でもバレーボールに打ち込み部活三昧の日々、勉強は中途半端でした。
それが原因で大学受験は苦労することになってしまいました。

私は頭で考えていることを言葉にすることがどうも苦手です。

なかなか頭の中で整理がつかず瞬時に言葉が出てこないのです。
人前ではものすごく緊張してしまい、少しのことで頭が真っ白になってしまいます。
口数が少なく真面目なことしか言えない頭の固い人間で、面白いことが言えない自分がものすごく嫌でした。

そのせいで友達もほんとに少なかったです。

それでもスポーツ特にバレーボールを真剣に取り組んでいる時は
人気者とか全く関係なく面白いことも言う必要はないので、
言葉ではなく体で自分の想いを表現できる場所があることに救われました。

ボールを落とさないように皆で必死でボールを追いかけ、
誰かが誰かのためにカバーする繋いでいくスポーツにとても惹かれました。
私にはバレーボールしかない!という思いが強く、
中学でも顧問との出会いで自分は変われことから
私も中学でバレーボールの顧問になりたいと教職をとることに決めたのです。

大学時代
なんとか受かった教職が取得できる大学へ行くことになり、
大学の3年間は一人暮らしをし最後の1年間は授業も少ないことから
実家へ戻るという親との約束で、3年間だけは神奈川県にある新百合ヶ丘で一人暮らしを
させてもらえることになりました。
親の目からも解放され今までの縛りがなくなり、髪を明るくしてみたり、無理して派手な子と一緒にいてみたりと最初の1年間は違う道へそれ、自分を見失ってしまっていました。
大学3年目で教育実習に行くために必要な授業の単位が取れず、4年で大学は卒業できたものの

教職を取得する為にもう1年大学に通い5年目で教職をすることになりました。

社会人
教職は取得しましたが教育実習での現実を目の当たりにした私は、教師になりたい!っという想いは正直もうこの時には既になくなっていたのです。それならば就職しなければならない…この状況にかなり焦っていました。とにかく働かなければ…

要領が悪くいくつもの求人に申し込むことが出来ない私は、目に留まった1つの会社へ面接を申し込むことにしました。自宅から近くにあり英語を少し使うこともある接客業務です。

英語には少し興味はあったのですが、接客が本当に本当に苦手でした。
初対面の人に笑顔で自然に打ち解けるということが、私にとってはとても難易度が高いことなのです。
それでも苦手なことにも挑戦するしかない選んでいる余裕はありません。
面接ではあまりの緊張に何を言ったかは覚えていませんが、なんとかその会社で働けることとなり今では13年が経ちます。

会社では5年間できないなりにがむしゃらに働き28歳で結婚、そのなかで2年半と約1年計3年半の産休・育休を取得させて頂いて、今復帰してちょうど2年が経過しています。
ブログで私は何を成し遂げたいのか
私は自分の進みたい道が明確でないことに心のどこかでずっと苦しさがあります。
もっと早くやりたい方向を定め経験を積んでいけていたらと…。
しかしそれはこの苦しみを経験してこその悩みであります。この経験を活かしたい!
子どもが自分自身で進みたい道を早い段階でこれだ!!と確信を持つことができ、あらゆる可能性を広げてあげられる手助けを日々の日常から発見し、その失敗や経験を共有していくことで同じ悩みを持つどなたか一人の心でも和らげられることが出来たらと思っています。
その教育には教育費が必要になってきます。「子供のあたまの良さ」は親の経済力や環境に左右されるということをよく聞きます。自分のせいで子供たちの可能性を潰したくありません。子供の無限の可能性の為にも自分の生涯の為にも、無理のない少しの努力で自分のできる限りの収入を増やし収入を得ていき、子育てしながらも経済的にも安心して自立していける女性を目指す姿を共有することで何か感じとってもらえたらと思っています。
最後に私は中学で出会った先生の影響がものすごく大きいです。
その出会いがなければ今の自分はありません。人は出会った人によって傷つき、出会った人によって救われます。
私も中学でであった先生のように人に何か影響を与えられるような人間になりたいと思います。それをこのブログからどなたか一人でも何かしら想いを届けられたらと思っています。

                       Rinaなり

スポンサーリンク
rinanariをフォローする
Rinaなりの志
タイトルとURLをコピーしました